渋滞とは何か

Pocket

社会問題の一つ、渋滞。
仕事柄、データとして渋滞という現象を確認することも、実際に車の運転でも、朝のラッシュ時でも実体験として容易に確認することができる。これまでの人生、意識的に渋滞を避けて生きてきたため、実を言うとその被害をまともには受けてきてはいない。

それ故に免疫がなく、どうしても渋滞に巻き込まれてしまうと、心身ともに疲れてしまう。
渋滞にはまりながら、渋滞とは何なのかを自分なりに言語化したことをまとめてみた。

品川駅港南口方面通路

なぜ渋滞のなかにいると、疲れるのか?

一言で自分のペースで動けないために、もどかしさを感じるためだと思う。

朝のラッシュ時の地下鉄ホームを例にすると、そこでの主な登場人物(テキトー)は、

  • 普通に歩いている会社員
  • スマホに夢中になってゆっくり歩いている人
  • 高齢で歩くだけで精一杯な人
  • 次の予定まで時間がないのか、カツッカツッと音を立てながら後ろからちかづいてくる人
  • カップルでマイワールドに浸っているっている人たち など

いろんなタイプの人がいる。
それぞれ混雑度合いに限らず、自分のペースで歩く。

混雑がない場合は、それを避けていけばいい。
高速道路で追越する・されるのと同じだ。

しかし、混雑していると、避けることができない。
目の前を歩いている人の後方にいる人達は、皆その人のペースに合わせなければならない。
ひとえにこれが疲れる原因だろう。

言い換えれば、渋滞とは1人1人が自分にとって最適な行動をとった結果、その最大公約数となる行動のあり方がスタンダードになる現象ということかと思う。

渋滞が与える負の側面

渋滞が与える負の側面をまとめると、

構造上強制的にいろんな人に合わさせられるため、本来自分が持つ要望や実力実行の妨げ、ないしは無駄を強いられる。

ということなのかと思う。

川の流れを逆行できないのと同じように、渋滞のなかではもっともコスト(手間がかからない移動)が低くなるように移動ルートが決められ、それに従わざるを得なくなる。自分では制御しようがない構造的な現象であるといえる。

渋滞との付き合い方

通勤ラッシュでも帰省ラッシュでもどうしても避けることができないから、ほぼ割り切ってその恩恵を自身に頭で納得させることで、なんとか我慢するのが渋滞だと思う。
個人としてできることは、渋滞を避けるために、混雑しないタイミングを狙うこと。直面した場合の悪あがきとしては、ちょっと遠回りする方法や、まだ試してみたことがないことをチャレンジすることで、心理的ないしは物理的に快楽を覚えることだと思う。

交通に限らず、サーバーアクセスなど「○○サービス」と名のつくものには全て付きまとう問題だ。この手の話は、大昔からある話であり、未だに良い打ち手がない。生きているうちに、テクノロジーによって解決したい問題だ。この話の延長として、なぜ制御できないのかについて、考えてみたい。

おまけ