社会を良くするとは何か

インタビュー記事でよく聞くフレーズ。自身が疎いのか、ひねくれているからか、そういう記事を読んでもしっくり来ないこないことが多い。このことについて、思うことがある。

「社会を良くしたい」というのは一時期、学生で意識高かったときに無理やり言語化しようと考えていた時期があった。考えても考えてもよくわからなかった。そしていつしか考えるのをやめていた(笑)

今になって「社会」とはなんぞやと改めて考えるようになり、実感を持って考えられるようになってきている(気がする)。

仕事をするようになって、お客さんや仲間からもらっている期待に気づき、応えようと強く意識するようになった。当たり前のことかもしれないが、博士課程までストレートにいっていた自分にとっては、我が道ばかりを突き進んできた身にはそのような発想はなかった(笑)。期待に応えきれてないことばかりだが、相手がいるという感覚はリアリティがあり、自分なりに努力してきた。

そして、ふと思った。実はこれこそが「社会を良くする」ということではないかと。具体的には、「社会」=「世間」と自分のなかで言葉を言い換えられるようになった。つまり身近なご縁のある人達(=世間)を良くすることが自身にとって社会を良くすることだと考えるに至った。

至って普通のことなのかもしれないが、これまで社会というと、世界中の人々とか見たこともない人々とか量的なもの(市場規模的なもの)を無意識のうちに注目していたことに気づき、自身のなかでは革新的が走った瞬間であった。そりゃあ頭で考えても考えてもそれっぽいイメージを探し続けるだけで一向にはっきりとしないわけだ。

冒頭に述べたインタビュー記事に載るような方々が述べる「社会を良くする」は、その方々が「ご縁」のあった方々がやはり関係しているのだと思う。最大限に期待に応えてきた結果、いつしかそのご縁がより広範囲に広がった(=使命感に変わった)ということなのかと思う。

人によって定義は異なるだろうが、自分なりに納得がいく説明ができるようになったように思えた。

ということで、自分にあるご縁を良くしていくことで、社会を良くしていこう!(笑)